よぎちょぎで「出会った」人々

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オージャンのエゴマ

オージャンは慶尚道の小さな村に暮らす友人の下の名である。
呼び方に厳格な国でこれはちょっとどうかとは思うが
「オージャンと呼べ」と本人が言うので
そう呼ぶことになってしまったのだ。

漢字では「五章」と書く。
名前の通り大変な読書家だが、家業の食堂は奥さんに任せっきりで、自分は部屋でむずかしそうな本を読んだりゴロ寝をしたり。

かと思うとブルドーザーのような勢いで畑を耕していることもあり、何をしているのかよくわからない人であった。

そんな彼が大きな身体に滝のような汗をかいて畑から戻り、立ったままで自家製のマッコリを飲み干す姿をながめていたら、「ワタナベも飲むか?」と言って大きな丼で持ってきてくれるようになった。

奥さんのヨンスクさんが漬けたキムチと冷たいマッコリは、まさに黄金コンビだ。

ひと休みしたオージャンはたいてい私を車で連れ出し、単独でいくのは困難な景勝地や寺を見せに行ってくれる。
この十数年間、オージャンとのそんな関係は変わることがなかった。


昨年5月、いつものように連絡もなしにふらりと村を訪れた。

オージャンは留守で、奥さんのヨンスクさんが「これから彼のアパートに行こう」と誘ってくれた。

車はどんどん村から離れていく。
こんな遠くにアパートをわざわざ借りるとはいったいどういうことなんだろう。

ヨンスクさんが運転しながら「今頃はアパートで仲間といっしょに楽しく酒盛りでもしてるわよ」と笑う。
オージャンの部屋に飲み友達でも集まっているんだろうか?

やがて車は山の中腹に作られた「追慕公園」に着いた。
追慕って、まさか…?

きれいに整備された公園墓地の一角にヨンスクさんがシートを敷き座るように促す。

目の前には芝で覆われた土饅頭型のお墓があり、墓碑銘にオージャンの名前があるのを見て私は全てを悟った。
ほんの2ヶ月前、彼は持病の肝臓病をこじらせて突然逝ってしまったのだという。

実は亡くなる数ヶ月前、私はオージャンからのメールを受け取っていた。
短い文面で「村も良い季節を迎えました。ぜひ遊びに来てください」とあった。

筆不精の彼がメールをくれるとは「めずらしい」と思ったが、たまたま忙しかったせいもあり返信しなかったのだ。
後悔の念が痛いように胸にこみ上げた。

ヨンスクさんに教わりながら韓国式の礼拝を捧げ、買ってきたビールをお墓にかけると芝の下でオージャンが「ワタナベなに泣いてんだよ!」と笑っているような気がした。

オージャンの家の畑には青い小さな芽が顔をのぞかせていた。

汗を流しながら畑を耕すオージャンに「何を作るの?」と聞いたら「エゴマだよ」と答えてくれた、あのときのエゴマだ。
それがオージャンとの最後の会話になってしまった。

今は周囲の仲間たちと身体の心配をすることもなく好きな酒を心ゆくまで堪能しているんだろう。



店舗電話慶尚北道 河回村