よぎちょぎ「あせった、困った」

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夜明けの逃走劇

ソウルからバスとタクシーを乗り継ぎ、
両水里(ヤンスリ)の映画撮影所へ見学に行った私は
帰りの‘足’がなくて途方にくれていた。
当時はまだタクシー待合室が設置されていなかったのだ。

事務所でタクシーを呼んでもらおうか、それともいっそ歩いてしまおうか…

思案しつつ古い映画ポスターなどをながめていると、ひとりのハラボジが「田中絹代の大ファンで…」と日本語で話しかけてきた。

撮影所に何かを配達してきたらしく、その車でソウルまで送ってくれると言うので「渡りに船!」とばかりにお言葉に甘えた。

ハラボジは私を安心させるためか免許証を見せてくれた。
76歳で、下の名前を「サムリャン」といった。

変わった名前だなぁと思ったら漢字で「三郎」と書くのだ。日本の統治時代に生まれた方だった。「終戦まで浅草で育ったが、父親が経営するブリキ工場がGHQに接収されて韓国に戻った。今でもアメリカは大嫌い」などと、道すがら聞く昔話が面白く、ソウルに着いてからもコーヒーショップで話し込んだ。

別れ際に旅行のスケジュールを聞かれたので、「ソウルで観光を終え、3日後には慶州あたり」と答えると、彼は「女の一人旅は心配だから着いたら電話をするように」と自分の携帯電話の番号を教えてくれた。

予定通り、3日後に慶州に着いた私は泊まっているモーテル前の公衆電話から無事到着の報告をした。

電話に出たサムリャン先生、「ふふふ、私が今どこにいるかわかる?うしろを振り向いてごらん!」

なんとそこには満面の笑顔でたたずむ彼の姿が…。

「妻がバス旅行でこっちに来ているので迎えがてら来た」と、意味不明な言い訳をした彼は、私のモーテルを見て「ボロだ」と断言。
自分の知っているホテルに移らないかと提案してきた。

すでに払い込んだ宿泊費がもったいないので断ると、「では自分がこっちに泊まる」と勝手に決めてしまった。
おいおいセンセイ、奥さんを迎えに来たんじゃないの?

しかし、空いている部屋を見せてもらったサムリャン先生は「テレビが故障中」「鍵がちゃんとかからない」などと文句をつけるばかりで、宿のオバちゃんはあきれてフロントに引きこもってしまう始末。

呆れたことに「ではアナタの部屋に泊めてもらおう」などと、とんでもないことを言い出したが相手はお年寄りだ。
丁重に折衷案を申し出た。

「ではどうぞ先生、私の部屋をお使いください。私は隣のモーテルに移りますから」

サムリャン先生、しょげ返りながらも「明日の朝、迎えに来るからドライブしよう」と積極的に誘ってくるあたりは、さすがに‘東洋のイタリア男’の面目躍如といったところだろうか。

ここで事を荒立てても面倒なので「そうしましょう!」ということにして自分の部屋に戻った。

そっとカーテンの隙間から外を見ると、モーテルの玄関前に彼のトラックが停まったままなのが見えた。朝になったらまちがいなく迎えにくるつもりだな。

翌朝、暗いうちに起きた私は灯りをつけずに荷物をまとめると、足音を忍ばせてフロントに下りた。
宿直のオバさんに気づかれぬようフロントを抜け裏口から外に出る作戦だ。玄関にはサムリャン先生が待機しているのでみつかるわけにはいかないからね。

植え込みの影に隠れながら隣のモーテルの敷地へ、さらにその隣のモーテルの庭にしのびこみ…という具合にして脱出に成功し、たどりついたバスターミナルで隣町までのチケットを買ったが、まだ安心はできない。

ここまで調べに来るはずのセンセイに「日本人が買ったチケット」の行き先がバレるのは時間の問題だろうし、それがわかったら車で先回りされてしまうはずだ。

隣町のターミナルでバスを乗り換え、さらに大きなターミナルのある町で通勤ラッシュの人ごみに紛れて本来の目的地までのチケットを購入してようやくホッとした。

後日、この話しを友人にしたら、彼女にも似たような経験があり、相手はなんと僧侶だったそうな。

行動力といいオシの強さといい、枯れることを知らない元気な年寄りが韓国にはいっぱい生息しているようだ。そうなるとこちらにも元気よくかわしていく知恵とかしたたかさが必要なんだろうなぁと思わされた一件だ。

住所京幾道 ソウル