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五重の石塔が語る百済滅亡

「扶餘(プヨ)」は百済最後の王都があった場所だ。
日本との歴史的なかかわりも深く奈良の明日香村は姉妹都市でもある。
私が扶餘が気に入り、もう10年も通っている理由、
それは百済時代の「定林寺」という寺の跡にいるこの方に会うためだ。

時の流れで風化して溶けてしまいそうな、この石仏さんがいる「定林寺址」とは、いったいどんな場所なのか、というお話。

朝鮮半島が、高句麗、百済、新羅にわかれて争っていた三国時代、百済の王都「扶餘」は唐と新羅の連合軍に攻めこまれた。

同盟国の倭国(日本)からも援軍を送り出して一緒に戦ったけど大敗を喫したことはあまりにも有名だ。(白村江の戦い)。

日本はこの負け戦による危機感をバネに国家体勢を急ピッチで整え、国号を「日本」と改めて新国家を誕生させたが、百済はその存在を敵軍によって徹底的に破壊され尽くしてしまったのだ。

たった一つの例外、それがここ定林寺址に残る五重石塔(国宝第9号)だ。

この塔が破壊をまぬがれた理由というのがまた屈辱的で悲しい。唐の将軍が塔身に火を放ったあとで「大唐平百済国碑銘」と題する碑文を刻みつけたのだ。

「百済を倒し唐がこれを治める」

つまり戦勝記念塔にされたがゆえに破壊されずに残り、1400年もずーっとここに立って、いろんな歴史を見てきたのだ。

扶餘には滅亡にまつわる伝説がほかにもあるのだが、町全体に日本人好みの「滅びの美学」みたいなものが立ち込めている気がする。


住所大韓民国忠清南道 扶餘